「中毒」の検出をテーマに、亡くなった方を「診断」する
法医学は「亡くなった方を診断する」現場
健児くん(以下◆):先生の研究内容を教えてください!
西谷先生:法医学は、社会医学とも呼ばれ、亡くなった人の死因究明の現場です。その中にもいろいろな分野があり、この研究室では中毒にテーマをあてています。中毒の検出の新しい方法やより正確な検出方法、そこから派生して中毒や薬物が体におよぼす影響を研究しています。特に、私自身は、アルコールについての研究をしています。アルコールは薬毒物の中でも身近で、亡くなるときに関わっていることがとても多いものなんです。普通の薬毒物に比べ、分子がとても小さく、体に大量に入ってきやすいもので、アルコール性の肝障害など、なぜかわからないけれど悪さをするものでもあります。アルコールが体にどのように影響しているかを明らかにしたいと思っています。
法医学というと、病気を診断する医師と遠いところにいると思っている方も多いと思いますが、実は思っている以上に医師の仕事に近いんです。テレビドラマでよく見るように、死因を究明し、犯罪性がないかという謎解きをするのがメインではなく、対象が亡くなった方というだけで、臨床で行っている診断と変わらないことをやっています。難しいのは、生きている人への診療ではできる「様子を見る」ことができないということ。時間経過を使って、回復していくのか、なにか値が動くのか、薬への反応が見られるのか、観察することができません。目の前にある、その一点の情報だけから、いろいろ調べないといけないんです。それ以外のアプローチは、医療現場での診断となんら変わらないんですよ。
医師になったとき、必ず出会う3つの困難が、突然死、アルコール、認知症。これからの時代、この3つが困難を伴ってきます。そのうちの2つが学べるのがこの研究室だと思っています。
人はいつか亡くなるという絶対的な真実に関わる現場
◆:先生はなぜ、法医学者を目指したんですか?
西谷先生:大学生のときに、阪神淡路大震災がありました。また、偶然なのですが、同じ年に知っている方が重なって亡くなったんです。その頃、人が亡くなるということに対して、力が及ばない、自然の摂理を感じました。当時の医療は、病や怪我からいかにして命をすくい上げるか、が問われていました。その中で逆らうことができない死というものが印象に残っていたんだろう、と今思えば感じます。
そんな中、臨床もいいけれど、なぜ医学の知識を持っている人が病院の中にしかいないのか、という疑問も持ちました。医学の知識をもって、病院の外で働いている人はどんな人なのだろうか、と考えたとき、法医学の先生に出会って、その先生について、法医学の道を歩むことになったんです。
アルコールは薬物という意識を持とう
◆:先生がテーマとされているアルコールは、身近なものですね。
西谷先生:身近ですが、とても難しいテーマなんですよ。人の体でもなんとなくアルコールで疾患が起こることは分かっています。じゃあ、と思って実験を組むと、他の薬物ほどドラマティックに動かない。なんとなくおかしい、という結果になることが多いんです。なにも変化がなければあきらめがつくんですが、そうじゃない。とても分子量が小さく、直接作用することが少ないからなのですが、真実がなにかを明らかにしようと考えたときには、なかなか手ごわいテーマです。
知れば知るほど、社会的に怖いものだとも感じています。研究を進めることで、なにか役に立てることがないかと思っています。
◆:アルコールはどのくらいから危険なんですか?
アルコールには2つの側面があり、味わいを楽しむ食事の一環としての側面と薬物の側面があります。味わいとして楽しむのは正常で健全な飲み方です。でも、多くの人は、飲むと気が大きくなる、感覚が変わるという薬理的な作用を求めてしまいます。そうなると体に影響がでるし、トラブルにもなりやすいんです。
学生によく言っているのは、急性アルコール中毒をみんな誤解している、ということ。アルコールを飲んで嘔吐するケースがありますよね。家族や友達が風邪薬を大量に飲んで、気持ち悪くて嘔吐していたら、当然のように中毒として、すぐに病院に連れて行くと思いますが、アルコールの場合はそうしないことが多くないでしょうか。よく考えてみれば、アルコールを大量に摂取して気持ち悪くなって嘔吐しているのも、薬の大量摂取と同じ状態なんです。なのに、アルコールの場合は病院に連れて行かないのはなぜなのか。冷静に考えると、意識が朦朧としていて嘔吐している段階で中毒です。そこは本当に危ないので、注意してほしいですね。
子どもような好奇心で「知的ときめき」を忘れない
◆:学生の皆さんに一言お願いします!
西谷先生:ぜひ、好奇心を持ってほしいですね。私が大切しているのは、自分の中の少年少女をずっと持ち続けること。子どものように、あれなあに、これなあに、という好奇心。ずっと持ち続けてほしいんです。知識や現象に対して持つ「知的ときめき」。それがいろいろなことを知るうえでの原点になります。大学は自由な世界です。高校までは、学ばなければならない枠があり、自分が学びたいこととマッチしないこともあったかもしれません。でも、大学の学びは、それをマッチさせることができるんです。自分の知的好奇心をそのまま勉学の方向に持っていけます。自分の好奇心を抑え込んでいたところがあったのであれば、自分の中の知りたがりの子どもをリリースしてほしいですね。
そのためには、自分の中の余裕をキープすることも大事だと思っています。余裕がない状態を普通にするのではなく、余裕を作りましょう。それから、仕事以外のつながりをつくること。異なる分野の人と交流すると、違う考え方の人がいて、自分が固まった考え方をしていたことに気付かされることがあります。世界を広げて、違う考え方の集団に飛び込んでいってください。
(2019年4月2日掲載)